三畳紀(さんじょうき、英:Triassic period)は、中生代の初めにあたる地質時代で、約2億5190万年前から約2億130万年前にかけて存在しました。三畳紀は後期、中期、前期の3つの時代に分けられ、トリアス紀(トリアスき)とも呼ばれています。
その開始と終了の時期については、研究者や学説によって、互いに約1000万年の差があることがわかっています。
名称と時期区分
三畳紀のアンモナイト(アメリカ・ネバダ州産)
エンクリヌス・リリイフォルミス(ドイツ/ムッシェルカルク層産)
この名称は、南ドイツで発見されたこの紀の地層に由来しており、これらの地層は二畳紀(ペルム紀)の上層に位置し、次の3つの異なる層が重なっていることが特徴です。
コイパー砂岩(Keuper):赤色の砂岩
ムッシェルカルク(Muschelkalk):白色の石灰岩
ブンテル砂岩(BunterまたはBuntsandstein):茶色の砂岩
これらの異なる堆積条件の層が見られます。
この名称はドイツの地質学者フリードリヒ・フォン・アルベルティ(英語版)によって1834年に命名されました。
ヨーロッパでは、ブンテルは浅い凹地に堆積した色鮮やかな堆積物を、ムッシェルカルクは貝類化石を伴う石灰岩を、コイパーは乾燥気候を示す岩塩と石膏の層を含む大陸の堆積物として知られています。
現在では、レエティクが第4の系列として加えられ、三畳紀の最新の地層に位置づけられています。
とはいえ、ドイツ周辺の海成層は三畳紀中期のものに限られるため、三畳紀全体を通しての編年はアルプス山脈、ヒマラヤ山脈、北アメリカ大陸北部の海生動物の化石が多く見られる地層を基準に、国際的に区分されています。
自然環境
古生代の終わりにほぼすべての大陸が合体し、三畳紀には「パンゲア」と呼ばれる超大陸が形成されました。
また、山地が崩れ、内陸部に広大な平野が広がり、乾燥気候の影響で砂漠化が進行しました。このため、赤い砂が堆積し、オアシスが点在する砂漠が広がっていました。
パンゲア大陸の周囲には「パンサラッサ」と呼ばれる巨大な海洋が広がり、大陸の東側には「テチス海」という湾状の海が存在し、一部は珊瑚礁を形成していました。
古生代終期の寒冷化した気候から、三畳紀を通じて気温は徐々に上昇し、ペルム紀の酸素濃度30パーセントから10パーセント程度にまで低下し、ジュラ紀頃まで続く低酸素状態が続いたと考えられています。
三畳紀は、広大な「大テチス地向斜」が発展した時期であり、この地向斜から約2億年後、アルプス・ヒマラヤ造山帯などの若い山脈が形成されていくと考えられています。
三畳紀の生物
ペルム紀末の大量絶滅を経て、空白となった生態的な地位を埋める形で、海洋生物には新たな分類群が続々と登場しました。
古生代型の海生動物に代わり、六放サンゴや多様な翼形の二枚貝が発展し、アンモナイトは中生代に入ってから爆発的に増えました。
また、類似するベレムナイトも多く現れました。棘皮動物のウニ類は古生代ではあまり発展しませんでしたが、中生代に急激に進化し、多くの種が登場しました。このような新しい種の出現によって、三畳紀後期には一度損なわれた生物多様性が回復しました。
三畳紀の海成層において重要な示準化石としては、セラタイト型アンモナイト、翼形二枚貝(ダオネラやハロビアなど)、放散虫、貝蝦(エステリア)、ウミユリの一種エンクリヌス・リリイフォルミスが挙げられます。微化石である歯状のコノドントも重要ですが、その生物学的な位置づけには議論があります。
ダオネラはホタテガイに近い絶滅種であり、ダオネラ頁岩は堆積学的に重要です。
一方、陸上の動植物はすでにペルム紀中に大きな変革を経ており、P-T境界で海洋生物ほど劇的な変化は見られませんでした。
ペルム紀にはすでに主竜類をはじめとする爬虫類が陸上生活に適応し、三畳紀には大きな体を持つものも登場しました。
主竜類の中では、三畳紀中期にエオラプトルやヘレラサウルスなどの恐竜、翼竜、ワニが登場し、またカメ類も現れました。爬虫類は肺呼吸を完全にし、乾燥した陸地での生活に適応しました。
三畳紀の初期恐竜は、陸上の脊椎動物の中で特に大型ではなく、むしろ恐竜以外の爬虫類にはそれよりも大きく、多くの種が存在したと考えられています。
この時期のワニ類は繁栄しており、陸上生態系の支配的な存在でした。三畳紀の恐竜の化石は南アメリカ大陸で特に多く発見され、北米やアフリカ、ヨーロッパでも確認されています。
また、爬虫類の足跡化石も三畳紀に多く発見され、肉食種が植物食種を捕食する生態系が形成されていたことが示唆されています。
三畳紀には初めて哺乳類も現れましたが、これらは非常に小さく、ネズミ程度の大きさでした。哺乳類の一部は歩行や走行と同時に呼吸を行うことができ、後に恒温性を獲得するための基盤となりました。
また、三畳紀において、陸上の爬虫類の一部は海に進出しました。イクチオサウルスやプラコドンなどがその例です。サメの仲間はペルム紀末の絶滅により繁殖が限られていましたが、硬骨魚類は海中で顕著に繁殖しました。
この時代の植物は、シダ植物や裸子植物が広範囲に分布し、針葉樹の先祖であるマツやスギも登場しました。また、シダやトクサなども密集して分布し、古生代後期から続くゴンドワナ植物群とアンガラ植物群の競争が見られました。
三畳紀の終わりには、小規模な大量絶滅が発生し、海洋ではアンモナイトや魚竜などが姿を消しました。
陸上ではキノドン類やディキノドン類など多くの単弓類が絶滅しましたが、恐竜など陸生脊椎動物は乾燥に強いタイプが生き延び、主役となりました。この絶滅の原因としては隕石の衝突や火山活動との関連が指摘されています。
三畳紀の地層について
三畳紀の地層は「三畳系」と呼ばれます。
三畳紀には大規模な海の進入はなかったとされ、そのため安定した陸塊では陸成層や台地玄武岩が主に見られ、海成層の分布はほとんどありませんでした。一方で、テチス海域や大洋の周辺の変動帯、または準安定地域では、珊瑚礁由来の石灰岩や層状チャートを含む海成層がしばしば見られました。
日本の三畳系については、初めはその分布範囲が非常に限られていると考えられていましたが、一時期、古生代に属するとされていた太平洋側の外帯地域のチャート層や石炭岩からコノドント化石が発見され、このことが三畳紀の地史の理解に大きく寄与しました。
これにより、これまで古生代後期の地層と考えられていた海洋性の石灰岩やチャート、さらには海底火山岩の多くが三畳紀に形成された地層であると考えられるようになったのです。
一方、内帯(日本海側)や外帯の一部では、三畳紀の前後に付加された古生代の地層や三畳紀に形成された花崗岩、広域変成岩が分布しており、これらを基盤に三畳紀後期には陸棚性・瀕海性の堆積物が比較的小規模に広がっていました。これらの堆積物には炭層が含まれており、化石の内容にはシベリア方面の種との共通点が見られます。
皿貝動物群
宮城県南三陸町の皿海集落は、三畳系後期ノリアン階の貝化石産地として知られ、ここで見つかる貝化石群は「皿貝動物群」または「皿貝化石群」と呼ばれています。この場所では、モノティスという翼形の二枚貝が特徴的に発見されます。
まとめ
三畳紀(Triassic)は、約2億5200万年前から約2億1300万年前までの期間を指し、古生代と中生代の境界に位置する地質時代です。三畳紀は、ペルム紀末の大規模な絶滅イベントを経て始まり、地球の生物多様性が回復する過程で重要な役割を果たしました。
この時代、海洋と陸上で多くの新しい生物群が現れました。海洋では、アンモナイトや翼形二枚貝が発展し、棘皮動物のウニ類も急激に進化しました。陸上では、恐竜や翼竜、ワニなどが登場し、爬虫類が支配的な生物群となりました。恐竜はまだ小型で、肉食種が植物食種を捕食する食物連鎖が形成されました。
また、三畳紀には海洋と陸地で異なる地層が形成され、地球の気候は温暖で湿潤だったと考えられています。植物もシダ植物や裸子植物が広がり、これらは後の恐竜時代に重要な生態系の一部となりました。
三畳紀の終わりには、再び小規模な大量絶滅が起こり、多くの種が姿を消しましたが、この時期を生き抜いた恐竜や爬虫類は、その後の中生代の支配的な生物群となりました。